「さくら奉仕団」皇居勤労奉仕の報告

十月八日からの三日間、社団法人「戦没者慰霊の会 櫻街道」を母体とする「さくら奉仕団」は、皇居奉仕に参加しました。団長を始め、総勢二十六名での参加です。

ここ数年つづいたコロナウィルスの為、前回の奉仕団からは五年ぶり、令和の御代となって初のご奉仕となります。なお、今までのさくら奉仕団」は、五十名以上での大所帯での参加でしたが、まだコロナウィルスが完全に終息していない事から、人数を絞っての参加になりました。奉仕を共にする他の参加団体も一団体のみで、合計で二団体のみの奉仕です。

一日目、和田倉噴水公園に七時三十分に集合。あいにくの雨が降る中、整列して八時までに皇居桔梗門まで向かいます。

桔梗門の前まで行くと、勤労奉仕に参加されるもう一つの奉仕団と共に、皇宮警察の方から身元の確認と、宮内庁職員の方から皇居内における注意事項の説明がありました。

その後、奉仕団は桔梗門から皇居に入場。皇居に入場すると窓明館という建物に入って、ここでもう一度、諸々の説明を宮内庁の職員さんから教えていただきます。そして八時三十分頃、窓明館前に整列して各団体ごとに人数を確認、奉仕をおこなう作業場へと向かいます。

私達、さくら奉仕団の作業場は宮殿地区でした。この宮殿地区は、新年の一般参賀と天皇誕生日でお馴染みな建物で、天皇陛下がお目見えになる長和殿という建物があります。しかしこの日、残念ですが奉仕作業は雨天の為にできませんでした。

二日目、前日からの雨が降りつづいてます。皇居に入場した奉仕団は、八時三十分ころ窓明館前に整列して北の丸公園へと向かいました。北の丸公園は、昭和天皇のおはからいで一般解放されている地区になり、誰でも入場できます。なお、江戸城天守閣跡でもあるので、天守台跡、松の廊下跡、石室、江戸の振袖大火での焦げ跡といった見所もあります。けれども雨がやまず、二日目も作業はできませんでした。

三日目、朝から雨も上がり秋晴れです。窓明館を出発した奉仕団は、午前の作業の前に記念写真の撮影の為、長和殿と二重橋近くの伏見櫓へ向かいました。記念写真を撮り終えると、天皇陛下からご会釈をいただく建物の近くで草取りをしましたが、その途中で、外国の駐日大使が天皇陛下へのご挨拶にうかがう「信任状捧呈式」の馬車列を見ました。

十一時二十分頃、天皇陛下からのご会釈をいただきました。戦没者慰霊の会櫻街道としての活動内容をお伝えすると、天皇陛下は「いろいろな事をされているのですね」とお言葉を下さいました。

午後、いよいよ本格的な奉仕作業です。さくら奉仕団は宮中三殿、陛下がお手植えをされる田んぼの地区へと向かいました。宮中三殿は、賢所(かしこどころ)皇霊殿、神殿の三殿から成ると聞きますが、賢所(かしこどころ)を中心とすることから、宮中三殿自体を賢所(かしこどころ)という場合もあるようです。なお、賢所は天照大神を、皇霊殿は歴代天皇と皇族方を、神殿は八百万の神々を祀っていると聞き及びます。

さくら奉仕団の作業場は、その賢所の周辺でした。そこで、まず全員で拝礼させていただいてから作業をおこないます。内容は土に溜まった大量の落ち葉を整理したり、道を熊手で綺麗に整地したりをしました。

今回は雨天により一日の作業でした。しかし奉仕を終えて感じることは、作業のあとの清々しさと、皆で共に過ごせた日々、ご奉仕ができたことへの感謝です。

一般社団法人 戦歿者慰霊の会 櫻街道

戦歿者の慰霊を行う団体です。戦跡慰霊巡拝・御遺骨収容や、慰霊顕彰を次世代に繋ぐ為の奉仕活動を行っています。海外では激戦地の慰霊碑を巡り、慰霊祭・桜の植樹・現地住民との交流、国内では沖縄戦の御遺骨収容・全国戦跡慰霊巡拝・勤労奉仕・清掃奉仕を主に活動しています。

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