大阪護国神社慰霊顕彰祭・桜植樹祭 発起人より御礼の件

一般社団法人「戦歿者慰霊の会 櫻街道」の活動として、令和七年三月二十九日、大阪護国神社にて、「慰霊顕彰祭」ならびに「桜植樹祭」を開催し、滞りなく終了出来ました事を、ご報告申し上げます。この度、初めて発起人を務めさせて頂きました。私はこれまで、沖縄での遺骨収容活動や、各地で行われる慰霊顕彰祭などに参加して参りました。振り返ってみると、最初は「何となく」参加していただけでした。幾度と回を重ねる度に、段々とその重要性を理解出来るようになっていきました。特に大きく捉え方が変わったのは、令和四年、万世特攻平和祈念館を、慰霊顕彰祭の際に訪れた時です。記念館の遺品等を拝見し、私の子供ぐらいの若さの方々が、日本の為に命を賭して出陣した記録なども目にしました。「これまで私が生きて来た平和な日々は、このような戦争があった上で、今日の日本がある」という事実に対し、改めて感銘を受けました。私が子供の頃、母方の祖父に戦時中の話を聞いたことがあります。祖父は、当時神戸で日本海軍の艦船を設計するエンジニアでした。その為、戦場へ出陣する事は無かったそうです。祖父は「自分も戦場へ行きたかった。」「仲間はどんどん戦地へ向かい亡くなって行く中、自分は戦地へ行けなかった事が残念でならない。」「だから生き延びる事が出来て、お母さんが生まれ、あなたが生まれた。」と教えてくれました。多くは語らなかった祖父でしたが、子供ながらに聞いた話は、今でも鮮明に覚えています。当時、大阪でも多くの方々が戦地へ出向き亡くなっています。また、「昨年・今年と沖縄県・糸満市荒崎海岸での遺骨収容に参加し、ご遺骨をお迎え出来た」事で、「地元の大阪でも慰霊祭をしたい」という思いが沸々と湧いてきました。大阪護国神社は、明治維新前後の天誅組十柱を始め、西南の役、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争に至る十万五千余柱の英霊がお祀りされている、由緒ある神社です。その神社に、我々櫻街道が植樹として選んでいる「陽光桜」を植え、慰霊祭顕彰祭を行いたいと。尽力の結果、沢山の方々のご協力やお力添えがあり、実現する事が出来ました。大阪護国神社の藤江宮司様にも、大変ご理解とご協力頂きました。皆様のご温情に、感謝し切れない思いで一杯です。この場をお借りして御礼申し上げます。植樹場所も、「他の元ある桜に混じるよりも、色見の違う陽光桜を固めた方が綺麗であろう」とのご配慮で、広大な敷地を提供して頂ける事にもなりました。直会も桜の木の下で行う事ができ、この上ない神事となりました。英霊にも、我々の想いが伝わったことかと思います。期せずして、今年は戦後80年昭和100年の節目であり、記念すべきタイミングでスタートを切れたことは、非常に良かったと思っています。戦後80年ともなると遺族会の方々や当時の事を語れる方が少なくなって来ています。「後世にしっかり引き継いでいく事」「大東亜戦争での事実を伝え、少しでも多くの方に興味を持って頂ける事」「慰霊顕彰祭や桜植樹祭などを通して若い人達にも楽しみながら参加して頂ける事」を中心に、取り組んで行きたいと考えています。皇紀2700年の節目には植樹した満開の陽光桜の下で直会を行う事を目標として、今後もしっかり携わって参ります。第2回3回と継続して行く為にも、皆様のご協力は不可欠で御座いますので、より一層のご支援・ご協力賜ります事を心よりお願い申し上げます。

一般社団法人 戦歿者慰霊の会 櫻街道

戦歿者の慰霊を行う団体です。戦跡慰霊巡拝・御遺骨収容や、慰霊顕彰を次世代に繋ぐ為の奉仕活動を行っています。海外では激戦地の慰霊碑を巡り、慰霊祭・桜の植樹・現地住民との交流、国内では沖縄戦の御遺骨収容・全国戦跡慰霊巡拝・勤労奉仕・清掃奉仕を主に活動しています。

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