英霊が迎待つ硫黄島へ(①きっかけ、硫黄島へ向かうまで))
本会の執行氏が、硫黄島における遺骨収容の手記を綴りました。
ぜひ、ご一読ください。
私は、この度、初めて令和5年度硫黄島の戦没者遺骨収集派遣(第4次)に参加することとなりました。沖縄の遺骨収集には何度か参加させて頂いておりましたけれども、今回は硫黄島と言うことで、仕事の調整や17日間に及ぶ期間の確保、頭を痛める所でした。
でも、私を誘って下さった大西優統括の硫黄島に対する熱い気持ち、日本を守る為に戦い命を捧げた方々を蔑ろにして、日本に平和など有り得ないと言っておられ、もし、硫黄島の遺骨収集で命が途絶えたとしたならば本望だと言う言葉に感銘を受けるとともに、以前読んだ残留日本兵の真実と言う本を思い出した瞬間、今の私には何が出来るのか、今がチャンスだと思い、硫黄島の遺骨収集に参加したいと言う気持ちにかられ、とんとん拍子で仕事の調整が進むとともに出発が待ち遠しくなりました。いよいよ硫黄島にむけての初日、本来なら自宅がある長崎より立つのだが、今回は出張先の鹿児島から東京へ出発、先ずは靖国神社で遺骨収集の安全祈願と1柱でも多くの仲間の帰還を誓い、お守りを手にして埼玉県にある前泊先、新狭山ホテルでタ方から結団式及び説明会で初めて団員の皆さんと顔合わせ、大学生から70歳後半ぐらいの方々が全国から参加されておりました。
2日目、貸切バスにてホテルから入間航空自衛隊に移動。ここで搭乗手続き、その間硫黄島グッズのお土産を買い、いよいよ出発。自衛隊の皆さんのお見送りを受けて自衛隊輸送機C2で硫黄島まで2時間50分、遂に硫黄島。輸送機を降りたら自衛隊の建物にペイントされた旭日旗に感動。ここで激戦があったのか、玉砕された方々迎えに来たよと心でつぶやき、自衛隊の歓迎を受けて入島、午後から硫黄島戦没者の碑の前で来島の報告。 この戦没者の碑の地面は地熱で暖かい、ここまで来る途中火山の煙があちこちで出ていて、名前の如く硫黄がでる島でした。作業現場視察終了後宿舎で説明会、ここでのルール等々を聞く、これから15日間お世話になる部屋は、ベッドが2つあり冷蔵庫にシャワー、トイレ付1人1部屋で広い、先ずは、英霊に対し水をコップに入れ冷蔵庫の上に捧げる。ここの宿舎は米軍が演習の時使用している。
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