英霊が迎待つ硫黄島へ(②硫黄島での活動)
3日目、いよいよ作業現場での遺骨収集がスタート、最初に戦没者に対し拝礼、必ず作業前、作業後に行われる。今回は噴火活動に伴う危険から地表作業となり、事前に、重機で試掘調査がされていて、ほぼ毎日遺骨を収容することができる。これは、硫黄島に常駐して仕事をする人がいるからだ、作業員の方々に感謝です。私も、硫黄島でこの様なやりがいのある仕事が出来たらと思いながら、今回多くの柱を帰還させると言う使命感を持って遺骨収容作業に打ち込む、最初は自分の立ち位置が分からず後方部隊でしたが、皆さんは、何回も来ているベテランなので、色々な作業を教えて頂き助かりました。
内容としては、手掘り作業、振るい作業、洗骨作業と3つに分かれ手掘り作業では、急いで
土を取り出すのではなく、良く確認し遺骨が見えたら全体を出して慎重に収容しないと崩れてしまう。篩い作業では、小さな遺骨までピンセットで収容する。洗骨作業では、竹櫛、ブラシ等で土を取り除く、この時遺骨が崩れやすいので力を抜いて行う。1日の作業終了後は、交代で遺骨の捧持、バスで宿舎に移動する時胸に抱いてる遺骨に良かったね、と言う気持ちがいつも湧いてくる。宿舎に設置している仮安置所に遺骨を捧持して、全員で拝礼を行ったら1日の作業が終了。日に日に作業も慣れて余裕がでてきたら遺骨と向き合えるようになる、死ぬ間際一番欲しかったものが水だと聞いている、硫黄島は火山の島だけに水が出ない。
最後の一言は何だったのだろう、お母さんかな。年齢は何歳だったのだろう、硫黄島は他の戦場とは違い、17歳とか若い兵士が多かったようだ。遺品もたくさん出るが本人の特定に繋がる物がなかなかでない。武器に薬きよう、不発弾は自衛隊が除去してくれる。日曜日は島内めぐり、慰霊の場所が多くあり、当時の戦闘で使われていた武器や巨大な大砲、戦車がそのまま残されていた。摺鉢山の頂上には日本とアメリカ双方の慰霊碑が建てられ、島の全体が一望でき、軍艦の残骸も見ることができる。ただ双眼鏡を忘れたのが残念だった。
遺骨収容作業もあっという間に終了の日が来た。現場での最後の拝礼すこし心苦しくなる、まだ1万以上の遺骨が眠っており、今回帰還させることが出来なくて、すみませんと言う気持で、必ずまた来るねと誓い現場を後にする。硫黄島滞在も残るは2日間、硫黄島戦没者の碑の前で、遺骨と共に現地追悼式に参列、帰還する英霊が先に帰るねと、残る英霊に別れを告げているように感じられた。
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